7と1/2階にある「あの穴」は今に生きる人たちをも覗いていた
作品名「マルコヴィッチの穴」
監督「スパイク・ジョーンズ」
2000年公開の映画。
公開後のレンタルショップでは、マルコヴィッチという「実在」する俳優の頭の中に入るという「フィクション」というのが全面に押されて紹介されていたと思う。
つけてしばらくしてキャメロン・ディアスも出てきて、当時、他の映画にも日本のバラエティにも出ていたことも思い出された。
ただ、この映画今見ると全く新しく感じます。
2000年というと、つい最近のことに感じるが、「いまはむかし」である。
iPhone初代は2007年発売。
twitterが広がりを見せたのは2010年過ぎである。
ようは公開当時は今のように、インターネットの即時性が高くはなく、twitterでいま誰それが何をしているとかの情報が大多数に一瞬で知れ渡ったり、家にいながらVRで別の場所にいるような疑似体験ができたり、というような下地が全く無い時代である。
映画に戻ると、
最初、現実社会では生きにくい人たちの描写が丁寧にされる。(主人公、妻、受付係・・・)
そしてオフィスに隠されたようにあった「穴」に入るとマルコヴィッチの頭の中に入るわけだが、眼球以外の部分がすこし不可視になる描写をしている。これは当時はなかったがいまのVRを装着したとき、そのものである。
ネット界隈でカルト的人気を誇る大物Youtuberがいたが、末期、彼は取り巻きの口車に乗せられ操り人形のように操作されていた。マルコヴィッチだ。
彼がすべてを知ったときは、
映画でマルコヴィッチがマルコヴィッチの頭の中に入ったときのような世界が瓦解し、驚天動地の中にいる心地がしたと察する。
映画は終盤にかけホラーの様相を呈するが、2019年の今、もうその真っ只中なのである。
比喩がジャストフィットしすぎて大物Youtuberの話をしているのか、映画の話をしているのかわからなくなってきたところがあるが、映画評論家なる人たちは、もう一回レビューし直してほしい。ちょっと読んでみたい。
また昔見てイマイチだった人も今見たら再発見があるかもしれない。
最後に、この映画の中で主要人物で積極的に「穴」に入らなかった人がいる。彼女のように自分自身を楽しむことに没頭する人物は今の時代、稀有になったとも感じた。
あと大物Youtuberが一瞬復活したとき、ある議員がtwitterで言及した。老若男女、みんな「穴」に入りたがっているのだ。